年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)のガバナンス改革
このブログで、「国民の年金だけにリスクを負わせる安倍政権」というタイトルで、GPIFの運用変更の不公正について書きました。
何より、公的年金運用への政治介入は絶対に許されないということです。
安倍総理が、昨年1月22日のダボス会議で、「1兆2千億ドルの運用資産を持つGPIFについては、そのポートフォリオの見直しを始め、フォーワードルッキングな改革を行います。」と発言されたのはもってのほかです。
資産配分は政治家ではなく、専門家が決めるべきです。
まず、GPIFの運用変更を「成長戦略」と結びつけることは法律違反です。
法律上は、あくまでも、「積立金の運用は、専ら被保険者のために、長期的な観点から、安全かつ効率的に行う」べきであって、年金の運用が一内閣の方便のために使われてはいけません。
もちろん、運用収益改善のための投資行動が、結果的に日本経済のプラスになることまで否定しませんが、あくまでも年金運用至上主義であるべきです。
今回のような大幅なリスクテイクをするにあたって、私は反対の立場ですが、その前に、きちんとしたガバナンスの体制をつくるべきだと考えます。
今は、130兆円の年金積立金の運用の責任はすべて、GPIFの理事長が担っています。運用委員会は、基本ポートフォリオをつくりますが、決定するのは理事長の権限です。
あまりにもガバナンスが効いていません。ここで、ガバナンスとは、「外部からその組織の「規律付け」を行うことと定義します。
そもそも、GPIFの顧客は誰でしょうか?
GPIFの本当の顧客は、年金加入者、国民全体です。しかし、形式上は資金を寄託している厚生労働大臣がファンドのお客様です。
一方で、厚生労働大臣は監督官庁で、上司にあたります。お客様が監督官庁というのは不自然です。
何より、「独立行政法人」という組織にしていることが間違いです。
独立行政法人である以上、たとえば、横並びで経費削減が達成すべき課題になりますが、運用機関ですから、経費をかけても運用の利益が出る方がよいはずです。
また、透明性や説明責任がパブリックに求められますが、運用機関としては市場に手の内をさらすような滑稽なことをするはめになります。
独立行政法人として求められる「透明性と説明責任」がGPIFにとっては、運用機関としてのマイナス要因になります。
公的年金であるがゆえに、透明性を要求すると、他の投資家に先回りされて、高値で買うことになり、運用成績は悪くなります。
事後の説明責任を求めると、運用の成果が給料に反映しない場合、運用収益最大化に集中せず、説明責任をうまく果たせるような、つまり、言い訳しやすい運用になりがちです。
そのため、市場インデックス連動や「お化粧買い」(年度内に大きく値上がりした株を年度末に買って、運用報告書の資産内容の見栄えを良くすること。)の行動がとられます。
今のような独立行政法人という形式は運用機関としては見直すべきです。
2009年にOECDがGPIFのガバナンスに関してレポートを出しています。
その中で、目標収益率やリスク許容度、資産運用方針を決定するため理事会を設置すること。その際、外部委員として、労使の代表に加え、利害関係者や金融業界とはつながりのない学者などを含めること。
さらに、年間事業計画、予算、年次報告を国会承認とすることなどが提案されています。
少なくとも、日銀のように理事会に権限を持たせて、その議事録を後で公表するようなガバナンスは必要だと思います。
また、年金は国民の資産なのですから、当然、国民の代表たる国会に報告義務を課すべきです。
このような議論を予算委員会でも、塩崎厚生労働大臣と行ったのですが、大臣からは前向きの答弁をいただけませんでした。
たいへん、残念な結果です。今後とも、GPIFのガバナンスと、運用基準の変更の問題点は国会で追及していきます。