アメリカ空軍パシフィック・アジアバンドが和歌山に!
(USAFパシフィック・アジアバンドの演奏。ボーカルはレベッカ・アレン軍曹。)
この週末、横田基地に所属するアメリカ空軍のパシフィック・アジアバンド(太平洋音楽隊ーアジア)が和歌山を訪れ、三か所で演奏会を開いてくれました。
10月18日(土)には、白浜町の白浜会館で県立田辺高校の吹奏楽部などと一緒に演奏会。
昨日の19日(日)には、和歌山市内のアートキューブでコンサート。その前には、市内の中学、高校の吹奏楽部の皆さんと交流会で演奏の指導をいただきました。
このバンドは有名なグレンミラー楽団の伝統を継いでおり、ジャズのビッグバンドとして、全米からの厳しいオーディションを勝ち抜いたプレーヤーしか入れない軍楽隊です。ですから、そのレベルは本当に高くて、プロ中のプロの演奏でした。
交流した、和歌山の生徒さんたちはすごい刺激をもらったものと思います。
隊長はヘイリー・アームストロング大尉。女性の指揮者ですが、素晴らしいリーダーシップでした。
私も演奏会の冒頭、英語で歓迎のあいさつをさせていただきました。
というのも、主催者の実行委員会の委員長の木下晴夫さんから、ぜひ、英語であいさつして隊員にエールを送って欲しいと頼まれたものですから。
木下さんは和歌山生まれで、航空自衛隊のご出身です。音楽をこよなく愛され、紀三井寺にデサフィナードというライブカフェを経営されています。
本当に音楽を愛する人々のために、ジャスラック(日本音楽著作権協会)と戦い、裁判で勝利した剛の者です。
私も、経産省のコンテンツ課長の経験から著作権問題に詳しかったこともあって、浪人時代から一緒に活動してきました。
木下さんの素晴らしい実行力で、今回の和歌山演奏会が実現しました。
しかも、今日20日(月)は、龍神村に墜落した大型爆撃機B29の搭乗員の追悼のため、慰霊碑の前で演奏しました。
昭和20年5月5日にB29が墜落した時、龍神村の村人は敵国ながら、生存した4人の搭乗員は助けて、死亡者は手厚く葬りました。その後の6月に慰霊祭を行い、以降今まで70年間慰霊祭を続けてきたそうです。
慰霊碑が建立されたのは昭和24年。米軍関係者がその時慰霊碑を訪れてから、今回の米空軍訪問が65年振りだとのこと。
戦時中に墜落した米兵を弔ったのは龍神村だけではなく、全国各地にあったことで、日本人の素晴らしさの象徴でもあります。たとえば、ジョー・オダネル著「トランクの中の日本」という写真集の中で、九州の八幡地区でも、アメリカ人飛行士の墓の写真が紹介されています。
しかし、その代表選手として龍神村で慰霊の追悼演奏会が行われることは和歌山の誇りです。
木下さんはじめ関係者のご尽力に心から敬意を表します。