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Blog活動ブログ

2014年7月9日

民主党が自民党に学ぶべきこと!

(中北浩爾著「自民党政治の変容」、NHKブックス、2014年)

 一橋大学の中北浩爾教授の近著「自民党政治の変容」(NHKブックス、2014年5月)は示唆に富む本です。

 今、私は民主党の「党改革創生会議」の実務作業チームで仕事をしています。

 今、どん底の政党を立て直すにはどうすれば良いのか、日々、悩みながら活動しています。

 このブログでも書き続けているように、私は、民主中道、穏健なリベラル保守の理念を民主党に植え付けることでしか再生は不可能だと考えています。

 中北教授の「自民党政治の変容」によれば、1955年の結党以来、自民党はその理念と組織を作り変えてきました。

 特に、党の近代化と利益誘導政治からの脱却を目指す中で、小選挙区の導入が結党以来の一つの重要課題でした。英国の保守党のような組織政党を目指し、鳩山内閣、田中内閣が挑戦しましたが、失敗しています。

 また、その間、常に右派とリベラル派の路線対立が繰り返されてきました。

 まず、右派の岸信介、福田赳夫とリベラル派の三木武夫の対立の後は、大平正芳がリベラル派の「日本型多元主義」をかかげ主流になります。

 そして、皮肉なことに、右派とみられる中曽根康弘時代に、自民党としてはリベラル派全盛の時代を迎えることになりました。

 当時、中曽根総理のブレーンであった香山健一学習院大学教授は、中曽根総理への建策の中で、「我が国社会の一部に存在する右翼的勢力―それは第一に戦争と侵略への深い反省がなく、第二に日本の国体、精神文化の伝統について全く誤った、ゆがんだ固定観念に凝り固まっており、第三に国際的視野も、歴史への責任感も欠いております。こうした愚かしい右翼の存在と二重写しにされることは馬鹿馬鹿しいことだと思います。」と訴えました。

 その結果、中曽根総理は二回目の靖国神社公式参拝を中止しました。中曽根総理は、「右バネがはね上がってはならぬ、左の過激派が跳梁してはならぬ、われわれは中庸の道を行く」と発言しています。

 これが、自民党が最盛期を迎える1980年代に起こったことです。

 そして、細川政権による野党転落を経て、自社さ政権ができるのは、その底流にリベラル派の活発な動きがあったからです。

 当時の自民党は、結党以来の「自主憲法制定」の旗を事実上降ろすまで、後藤田正晴党基本問題調査会長を筆頭に、野中広務代議士、加藤紘一代議士などリベラル派が台頭していました。だからこそ、社会党と連立政権が組めたのです。

 しかし、その後、1998年以降、反小沢の保守系グループなどと合流した民主党が二大政党の一角を占めるようになるに連れ、自民党は戦略的に右傾化していきます。

 小泉政権は「新自由主義」と「右派」との結合はできませんでしたが、結果的に、2005年の郵政解散で圧倒的な勝利をおさめます。この頃は、それでもまだ、自民党の中のリベラル派は影響力を残していました。

 2009年に政権を失ってからは、右派の力がますます強くなり、2005年の微温的な憲法改正草案を右派的な色彩の強い復古的なものに変えたのが2012年の4月です。その決定を下したのが、リベラルの系譜につながる谷垣禎一総裁であったことも、中曽根総理との対比では皮肉なことでした。

 そして、今の安倍内閣の先祖返りした右派路線が出来上がりました。

 自民党は長年の党の歴史の中で、このように右派とリベラル派のダイナミックなスイングを繰り返して生き延びてきました。

 これから、私たち民主党の立つべき位置は明確です。後藤田会長が「リベラルは新しい保守だと思うな。」と言い切り、護憲政党に回った時代の自民党のような、明快なリベラルのポジションを取るべきです。

 この立ち位置こそ、穏健保守からリベラルまでを含む「民主中道」の再結集を進める唯一の道です。

 民主党の同志の皆さん、応援して下さる仲間の皆さん、いつまでも、意気消沈している場合ではありません。

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