実るほど頭(こうべ)の垂れる稲穂かな
(もう色づいた稲穂です。中には、すっかり実って、頭を下げている稲穂もあります。)
子供の頃に、親から、いろんなことを教わります。私の父親は子育ては厳しかったです。手加減をしていたとは、後年言ってましたが、毎日、体罰をくらってました。いわゆるゲンコツ親父でした。
父はルソーの「エミール」を教科書に子育てしたものですから、3歳までの子供は家畜と同じです。でも、おかげで、ぐれずに育ちました。今は、感謝していますが、子供の頃は、親父が怖くて、怖くて、、、、。
でも、優しいところもあって、子供をしつけるのにことわざや、古い歌を使って、諄々(じゅんじゅん)と説得もするのですね。小さいので、意味もよく判りませんでしたが、なぜか今でも心に残っています。
「親の意見となすびの花は千に一つもアダがない。」
つまり、親の言うことを聞けと言うことです。
「明日あれと思う心のアダ桜、夜半に嵐の吹かぬものかは」
今日できることは今日中にやっておきなさい。
小学校に入ったかどうかという頃に、そんなこと言われてもよく判りませんでしたが、言葉だけはすぐに覚えました。「人間万事塞翁が馬」も中学の漢文で習う前に、父親から耳にタコができるほど聞きました。
そんな中でも、不思議に覚えているのが「実るほど頭(こうべ)の垂れる稲穂かな」です。なんで、こんな話を小さな子供にしたのか、不思議です。
しかし、江戸時代、幼児から四書五経を音読、暗記させた教育が見直されています。意味が判らなくても、親からすりこまれた言葉は年を取ってから、身にしみます。
まだまだ、私は未熟で、発展途上です。政権交代と言う夢の実現に向かって挑戦中です。もちろん、本人は全く実っていません。
今日も、たまたま田園地帯を走っていて、稲穂を間近に見たので、父の言葉を思い出し、撮影をしました。
「実るほど頭(こうべ)の垂れる稲穂かな」
いい言葉ですね。
私たちのために。
私たちの子供たちのために。
私たちの大切な人のために・・・。
信じられない政治に終止符を打つ。
そして、信じられる政治を創るために。