イッセー尾形
イッセー尾形の演出を30年以上してきた森田雄三さんの「間の取れる人 間抜けな人」(祥伝社新書、2007年8月)を読みました。これはおもしろい本でした。コミュニケーションの「極意」は「間の取り方」もしくは「沈黙」にあるというのです。
私のように、街頭で演説したり、ミニ集会でおしゃべりするのが仕事の人間に取って、身につまされる本でした。落選して最初の頃は、ミニ集会でも、政策の話など得意な分野を一人で話しまくっていました。
今は、自分の話す時間を少なくして、参加していただいている皆さんにしゃべってもらうように心がけています。そして、話すときは「できるだけゆっくり」話すように努力しています。
話したいことがたくさんあると、どうしても「早口」になります。でも、聞いている方からすれば、興味のない話を聞かされる場合には判りやすくないと付いていけません。
素人を集めて、4日間の研修でお芝居を公演するというワークショップを続けていく話はおもしろすぎます。誰もが「自己実現」したいけれども、なかなか、その機会がない。そのような場ができたときに、老若男女が大勢応募してくるのも判るような気がします。
うまく自己表現のできない人が続出する研修では、「自分の一番嫌いな人」の悪口を言ってもらうことが突破口になるそうです。皆さん、声色までまねして生き生きと語るとのこと。
私の演説も、落選して浪人中に少しは上達したかも。「間を取る」というのは自分を突き放して見ることにも通じるように思います。自分をギャグにして笑いを取るのは関西人なら当たり前です。さらに、もう少し、冷たい目線で自分を客観的に見たときに「間が取れる」のではないでしょうか。
そんな判ったようなことを言うのは当選してからにしましょう。これから毎日ミニ集会の日々です。ある意味で毎日が試験です。と言うか、「試練」ですね。頑張ります!