和歌山のお盆
(お盆の真っ最中、車中より撮影した和歌山城の勇姿です)
和歌山で、地元民としてお盆を迎えるのは2回目となりました。2年前は選挙のために、急きょ和歌山に帰って来たのが8月11日。そこからは、選挙の準備が始まったので、お盆どころではありませんでした。
それまでは、東京に住んでいましたので、お盆には「帰省」するお客さんとして、和歌山に戻ってきていました。南海電車に乗って、紀の川の鉄橋を渡ると、遠くに和歌山城や市役所の建物が見えてきます。倒産した後もいまだに残っている「丸正」の看板も和歌山そのものでした。
市内に入っても、昔とそんなに変わらない街並みがなつかしさをかき立ててくれました。ぶらくり丁がさびしくなって行くのを見るのは辛いことでしたが、けやき通りや、街中の広い道路には開放感を感じました。
「ふるさとはいいなぁ、、、。」と漠然と思い、家族、親戚や同級生に会って、また忙しい生活の待つ東京へ帰っていました。今は、自分が和歌山に住み着き、365日生活しながら、京都に嫁いだ妹や同級生を、盆と正月に迎える立場になりました。
和歌山はほんまに住みやすいところです。冬でも暖かく、雪は積もりませんし、夏でも、朝夕は海と山の関係でさわやかな風が吹き抜けます。一方で、若い人の働く場所が少なく、街全体に元気もありません。昔は、街中にいた和歌山大学の学生さん達は山の上で勉強していますので、今はバス停以外では見かけません。
東京や京都、大阪では地価はすでに回復していますが、和歌山の土地の値段は17年間連続して下がり続けています。住宅街を歩いて回りますと、高齢の女性の一人住まいが多いのに驚かされます。そして、誰も住んでいない廃屋が和歌山市内でも珍しくないのです。
地元の人間として、「和歌山を変える」ことの大切さが骨身にしみて判ってきました。2年前の即席の演説で、「和歌山を変える」なんてしゃべっていたのが恥ずかしくてたまりません。
国会に送っていただいたら、渾身の力で和歌山の活性化に貢献したいと本気で思っています。特に、バイオエタノールなどの環境技術は和歌山にとって起死回生の起爆剤となるはずです。トヨタ自動車をはじめこれまでの人脈のすべてを活かして、走ります。今日はお盆の真っ最中に思ったことを書きました。