老人の定義と年金支給開始年齢引き上げ問題
この週末から来週にかけて、敬老会のシーズンです。
各地域の公民館などで、連合自治会単位や個別の自治会単位で開催されます。
準備をされる皆さんもたいへんで、趣向をこらしてお年寄りの皆さんに喜んでもらおうと必死です。
どこの会場もいわゆる「老人会」のメンバーは女性が中心。もっとも、老人会という名前はなくて、「橘会」とか、「福寿会」とか素敵な名前をつけておられます。
その女性の皆さんは、圧倒的に笑顔良しのべっぴんさんです。
会場は笑い声で包まれています。やはり、笑っていると長生きできるんでしょうね。毎年、同じことを感じながらパワーをいただいています。
しかし、お客さんの「老人会」も、お世話をする連合自治会や婦人会の皆さんも、見た目ではそんなに違わないような気がします。まあ、、、、その、、、、年齢が、、、汗。
昔、出雲市長の岩国哲人さんは、老人会の加入率が低かったのを、65歳から70歳までの「老人会青年部」をつくって一気に倍増したそうです。
65歳から老人という定義は、まったくピントはずれだと思います。
これからは、年齢制限せずに、誰でも入れる「アクティヴ・シニア」の会とかにすれば、面白くなるのではないでしょうか?
アメリカでは、定年制は年齢による差別だとして憲法違反です。日本でも、定年制を廃止して、働く意欲と能力のある人は何歳まででも働けるようにすべきです。
したがって、年金制度も何歳からでも受け取れるようにし、早くからもらえば、当然、毎月の給付は低いが、遅くからもらえば給付が厚くなる仕組みにすればよいのです。数理計算上、平均寿命まで生きた時のトータルの給付額を同額にすれば不公平はありません。
今でも、基礎年金はそのような設計になっています。70歳からもらう人は60歳からもらい始める人よりも毎月の手取りが多くなっています。
その計算基準年齢を65歳から70歳くらいに引き上げれば、年金財政も安定化し、かえって老後保障が充実するわけです。
「年金支給開始年齢引き上げ」と言うと、それまで一円ももらえないという誤解がありますが、そうではありません。
各地域の敬老会に参加し、50歳代はまだまだ洟垂れ小僧だなと痛感。
しかし、先輩たちに安心していただける社会保障制度の改革は待ったなしですから、私たちの世代の責任は重いなと緊張しています。