集団的自衛権とは何か―その1
今、安倍内閣による集団的自衛権の憲法解釈変更を閣議決定で行う動きがあります。
政府は15の事例を出して、限定的に解釈変更するべきかどうか議論されていますが、そもそも集団的自衛権とは何かということをはっきりと認識したうえで冷静な議論をすべきだと考えます。
そもそも集団的自衛権とは何か?
1928年、不戦条約「戦争放棄に関する条約」が成立。この条約は第1条で国際紛争を解決する手段として戦争に訴えることを非とし、国家の政策の手段としての戦争を放棄し、第2条で、すべての国際紛争を平和的な手段で解決することとしています。
そこでは、英、仏、米などの間では、正当防衛の権利、自衛権は主権国家に固有の権利なので、あえて条約に書く必要はないというコンセンサスがありました。
ただし、英・米の間では、「英国の平和と安全にとって特別で決定的な利害を構成する地域の防衛に関しては、不戦条約を適用しない。」という条件が付けられました。米国にとっては、中南米が「特別で決定的な利害を構成する地域」だったからです。
当時の日本にとっての「中国大陸」も「特別で決定的な利害を構成する地域」と考えられていました。日本が柳条湖事件を起こした際に、「自衛の行動」として正当化したことからも明らかです。
このような考え方が、国連憲章で認められた「集団的自衛権」の元祖にあたるものだと言えましょう。
そして、国際連合ができて、国連憲章はいっさいの武力行使を禁止し、集団安全保障体制を定めました。しかし、憲章では、安保理が措置をとるまで、加盟国に自衛権を認めています。
不戦条約では、自衛権は当然なので明文化しませんでしたが、国連憲章51条では、「個別的または集団的自衛の固有の権利」が規定されました。
国際法上、ここで初めて、「集団的自衛権」が登場します。
その背景には、中南米諸国が1945年に採択した「チャプルテペッグ決議」があります。これは、中南米のある国家に対する他国の攻撃を米州全体への侵略とみなし、軍事的対抗手段を集団的にとることを決めたものです。
一方、国連憲章では、このような地域取り決めによる強制力の実施には安保理の許可が必要になっていました。
しかし、安保理では5常任理事国の拒否権が認められました。たとえばソ連が反対すれば、「チャプルテペッグ決議」は意味がなくなります。
そのことを避けるために、米国は憲章51条に「集団的自衛権」を明文化させたと言われています。
不戦条約の歴史に学べば、このような地域的に集団として自衛するという考え方は、一つの流れとして理解できますが、ある意味、大国による政治的な駆け引きの産物でもあったわけです。
戦後、国連憲章の下での、集団的自衛権の発動による軍事介入には次のようなものがあります。
まず、ソ連―ハンガリー(1956年)、米国―レバノン(1958年)、英国―ヨルダン(1958年)、ソ連―チェコスロヴァキア(1968年)、米国―ニカラグア(1986年)などです。
私にとって、記憶にあるのは、ヴェトナムとアフガニスタンです。米国は南ヴェトナムを支援する軍事行動を、ソ連はアフガニスタンに軍事介入した時に、集団的自衛権を主張しました。
また、湾岸戦争の際に、米国はクウェートの要請に基づく集団的自衛権を発動してイラクを攻撃。9.11事件後のアフガニスタンへの米国の武力行使に関して、NATO諸国も集団的自衛権を発動して攻撃しました。
大量破壊兵器の存在を理由に行われた米国のイラク攻撃に、英国は集団的自衛権の名の下に軍事介入を行いました。
結局、集団的自衛権を行使している国は、NATO諸国を除けば、軍事大国であるという事実があります。このことは、集団的自衛権の本質を考える際に参考にすべきだと思います。