パール判事 東京裁判批判と絶対平和主義
戦後史の中で、東京裁判の位置づけは重要です。日本政府は、サンフランシスコ講和条約によって、東京裁判を受け入れた結果、国際的に、この裁判をくつがえすことはできません。
そのような歴史修正主義がアジアの平和構築のためにプラスになるなら挑戦すべきでしょうが、現実には百害あって一利なしだと思います。
しかし、私が法学部の学生だった頃、パール判事の「少数意見」を勉強した時から、パール判事の法律家としての緻密な論理には尊敬の念をいだいていました。
今回、「リベラル保守宣言」の著者中島岳志さんが書いている「パール判事」という著書を読んで、彼が単なる法曹の域を超えた政治哲学者でもあることに感動しました。
パール判事は、「平和に対する罪」や「人道に対する罪」は第二次世界大戦までの国際法には無かった罪であり、事後法によって裁くことはできないという正論を主張した法律家です。
その論点は、「もし事後法を認める東京裁判が成立するなら、国際社会は戦争をしてはならないという認識の共有には向かわず、戦争に勝ちさえすれば国際法を無視して自分たちの都合のよいように裁くことができる、、、、東京裁判は、結果として侵略戦争の撲滅ではなく、侵略戦争の拡大につながり、国際秩序の根本が崩壊する。」(「パール判事」、pp.131))というものです。説得力のある議論だと思います。
しかし、パール判事は、それまで国際法上認められていた「通例の戦争犯罪(戦争法規または戦争慣例の違反)」に関しては、戦勝国が裁判の権利を有することを認めました。
その上で、A級戦犯容疑者に関しては、証拠不十分で無罪としました。あくまでも、法律の枠組みの中で、法律家としての良心にしたがって裁判に臨んだのです。ただ、それは「日本無罪論」ではなく、あくまでも容疑者個人の無罪であったことが重要です。
一方で、日本の帝国主義的拡張を列強の悪しき模倣と批判し、道義的には不当な行為であったとも指摘しています。
彼は、絶対平和主義者であり、戦後の日本の再軍備に反対しました。
戦後、来日したパール判事は、「みなさんは、つぎの事実をかくすことはできない。それはかってみなさんが、戦争という手段を取ったという事実である。」(「パール判事」、pp.256)と法政大学での講演で言っておられます。
ガンデ―ィーを尊敬するパール判事の一貫した平和主義者としての生きざまに感動します。
パール判決書の一部だけを、つまみ食い的に引用する文献を読んで、わかったつもりになっていた私の浅はかさを反省し、歴史を深く学ぶことは重要なことだと痛感しました。