2013年7月3日
立憲主義について考えるPART2
(芦部信喜著「憲法」)
先日、国民主権の下でも「権力をしばる」という立憲主義の重要性を考えました。
立憲主義にはもう一つ、「公と私を厳密に区分すること」という立ち位置があります。
人間はそれぞれ、比較することのできない価値観を持っています。皆がその価値観が正しいと考え、他人に強要するならば、激しい闘争が起きます。
過去の宗教戦争はそのことを証明しています。宗教が異なる者は「人間」ではないと言うことになり、どんな残虐な行為も罪の意識なく行えたわけです。
そこで、公と私を区分し、プライバシーの権利、思想・良心の自由、信教の自由などの「私」の部分は国として干渉しないことを徹底するのが立憲主義の命となります。
立憲主義の下では、ある宗教を信じることで社会生活を送る上で有利になったり、逆に不利になったりすることはないのです。
言い換えれば、価値観の多様性を認めることが求められる社会であるということです。
「世の中に、多様な価値観や生き方が存在することが広く世に知られることは、立憲主義的な公正な社会の枠組みを支える、寛容の精神を人々の間に育むことにつながる。」(長谷部恭男「憲法と平和を問い直す」pp.77)
そのためにも「表現の自由」が制約されることがあってはなりません。
先日のブログにも書きましたが、「自民党憲法草案」のように、「公益及び公共の秩序」という為政者側が幅広く解釈できるような基準で表現の自由をはじめ基本的人権を制限する考え方は、思想・信条の自由や宗教の自由を大きく損なうことになります。
その意味での立憲主義は必ず守らなければならない貴重なものです。