神話が生きる国
今朝は、午前5時から皇居一周ウオーキング。赤坂の議員宿舎から、国会議事堂の前を通って、皇居を一周しますと、1時間15分くらいかかります。
予算委員会のメンバーになるまでは、毎日、続けていたので、軽くジョギングしますと、昔は50分ほどで帰ってきていました。
予算委員の仕事が重いためか、最近は、さぼっていました。昨日、出雲の地で、早朝、久しぶりに散歩をしたら、どても気持ちが良かったので、思い切って今日から再開。いい汗かきました。
今朝は、出雲にまつわる神話について考えながら、歩きました。
大国主命(オオクニヌシノミコト)は、お兄さんの神々に殺されそうになりますが、紀伊の国まで逃げて来た時、五十猛命(イタケルノミコト)に命を救われます。その際に、木の俣(また)から逃して、五十猛命の父の須佐之男命(スサノオノミコト)のいる根の国に行かせるのです。
伊太祁曽神社のご神体は五十猛命さまです。そのご縁で、出雲大社の宮司さまは、伊太祁曽神社を大事にしてくださいます。すごいですよね。
今回も、伊太祁曽神社一行は特別参拝をさせていただきました。神話が生きているんですよ。
(皇居の周りには47都道府県+千代田区の花のプレートが埋め込まれています。和歌山県はもちろん梅の花です。)
出雲の国譲りの神話は、有名です。
葦原中国を治めていた大国主命に対して、天照大御神(アマテラスオオミカミ)が自分の子孫に支配権を渡すように交渉します。何人かが失敗した後、建御雷神(タケミカズチノカミ)が交渉に成功します。
まず、十握(とつか)の剣を抜いて、波の上にその剣を逆さに立て、その前にあぐらをかいて座り交渉を始める。つまり和戦両様の構えです。
大国主命の長男は即刻に降伏、息子の中の一人は戦ったのですが、歯が立たず諏訪湖まで逃げた末、建御雷神に負けて降伏。その結果を受けて大国主命も降伏しました。
その条件は、地の底深く太い柱を立て、天高く大きな社を建てることでした。ですから、出雲大社は古代には、大きな階段を有した大建築であり、今でも、国内で一番大きな神社です。
1744年建造の現在の本殿は高さ約24メートル。
中古には48メートル、上古には約96メートルであったと伝えられています。
2000年に、境内から巨大な宇豆柱(1本約1.4メートルの柱を3本束ねたもの)が発掘されました。昨日も、出雲大社の横の歴史観に展示されていましたが、それは巨大なものでした。
柱の分析や出土品から古代のものではなく、1248年造営の本殿のものである可能性が高いそうです。ということは、高さ48メートルの可能性もあるのかな、、、、?!
ちなみに、古事記の現代訳は梅原猛著「古事記増補新版」(学研M文庫、2012年)から引用しています。
なお、本書の中で、梅原先生は「天つ神が来たら、国つ神は大国主のように、潔く天つ神の子孫に国を譲らなくてはならない。-------これは、明らかに、外国から来て、日本の国に君臨した支配者が、その支配を合理化するために作った神話であろう。」と解説をされています。