タウンミーティング開始!
(タウンミーティングに参加いただいた皆さんと記念撮影)
昨日は、今年初めての「タウンミーティング」をさせていただきました。選挙用語で、「ミニ集会」とも言います。
大規模な国政報告会は100人とか200人の規模になりますが、動員もたいへんですし、候補者との距離感もあります。10人から20人程度の「ミニ集会」であれば、じっくりお話もお聞きできますし、ひざを突き合わせての近距離でお会いできます。
その意味では、人数が少なければ少ないほど、親近感が生まれます。究極のミニ集会は1対1になります、、、笑。
私の話は30分くらいで、残り30分は皆さんからご意見をうかがいます。昨日は、結局質疑応答が40分程度になり、盛り上がりました。
いくつか参考になるお話をいただきましたが、次のようなご意見が耳に残りました。
「子ども手当てとか、高速道路無料化とか、問責決議やら政治倫理審査会、、、などの話は聞き飽きた。もうテレビを見る気もしない。むしろ、20年後の日本がどうなるのか、国家ビジョンを示して欲しい。自分の子どもや孫の生活が心配だ。」
そうなんです。1980年代後半、日本経済が欧米先進国にキャッチアップし、また、ベルリンの壁が崩壊して、冷戦状態が終わってから、国家ビジョンが描けてこなかったことが問題なんですね。
それは、自民党政権も、野党も、そして、霞が関の官僚機構も国家ビジョンを作るよりも、目の前の問題をパッチワーク的に処理することに必死になっていたからです。
高度成長の時代にできた社会保障のしくみは、安定成長の時代にこそ見直されるべきでした。今や、少子高齢化、人口減少社会に入っているわけですから、今すぐにでも社会保障とその財源のしくみは変えなければなりません。
政権交代後のモタモタには、政権運営に不慣れなこともありましたが、個別の政策の前提になる国家ビジョンが欠けていたからです。自民党政権にもなかった国家ビジョン。もう、野党だ与党だ、と言い争っているヒマはありません。
超党派で国家ビジョンを作りましょう!そのための、たたき台を国家戦略室で作ります。
大平正芳内閣で、国家ビジョンを作ってから、約25年、四半世紀が経ちます。当時、私は、大蔵省に入りたてで、あの膨大な報告書の「清書」をしました。会議は徹夜で行われましたが、陪席しているだけでも血わき肉踊る思いがしたものです。
官僚の若手諸君や新進気鋭の学者の参加も募って、20年後、30年後の国家ビジョンを作ります。