優しいリアリズムを目指して
フリージャーナリストの佐々木俊尚さんは、反権力という立ち位置のみのリベラルを批判し、「優しいリアリズム」を追及することを説いています。
著者は、日本でのいわゆる「リベラル」と「保守」は、国際的な定義と逆行しており、それぞれに矛盾を抱えていることを説明します。
本来、リベラルは、一国平和主義を取らず、理想のために他国に戦争に行くものだし、経済政策では大きな政府でりフレ政策や積極財政主義です。
日本のリベラルは、真逆です。戦争前でも、保守の政友会が積極財政、リベラルの民政党が緊縮財政でした。
一方、日本の保守がよって立つ、伝統や歴史にも根拠はありません。家族の大切さを説きますが、江戸時代でも核家族は4割以上で、男性の単身世帯も多かったのです。
また、「親米保守」は自己矛盾です。アメリカが追及する個人の自由やグローバリゼーションの考え方は、日本の保守の考え方とは対立します。
つまり、今や、リベラルと保守の対立軸は有効性を失っていると著者は指摘します。
その背景にあるのは、ヨーロッパ由来の自由や平等という理念が崩壊しているとの認識です。
そのような不毛な対立を止め、外交安全保障や原発問題などリアリズムの立場に立ちつつ、そこに情を通わせる「優しいリアリズム」が重要だと指摘します。
たとえば、非正規でも正規でもない働き方、「限定正社員」のような働き方を是認します。
著者は、「優しいリアリズム」の前提として、経済の成長が必須だと考えます。
成長がない時代の新しい生き方を長期的に模索することは大切だが、そういう生き方は誰にでもできるわけではないという達観です。
一部の能力のある人だけではなく、すべての国民が生きていけるような社会をつくるめに、政治家にはリアルな戦略が求められるとしています。
リベラルだ保守だとの単なるレッテル張りではなく、価値観の多様性を認めながら、共生していく穏健で中道的な政治姿勢が重要であるというのが、読後感として残りました。