集団的自衛権とは何か―その3(違憲判決の可能性)
集団的自衛権の解釈を内閣の閣議決定で変更することの是非について考えてみたいと思います。
日本政府の憲法9条に基づく確定した解釈は前のブログでも書いた通りです。
「国際法上、国家は、集団的自衛権、すなわち、自国と密接な関係のある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利を有しているものとされている。我が国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲法第9条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されないと考えている。」(昭56年5月29日「稲葉誠一(衆)議員の質問主意書に対する答弁書」)。
集団的自衛権に関しては、これまでも政府と国会の間で長い間議論されてきました。
議会制民主主義の下ですから、政府の答弁は国民に向けて発せられており、国民の間でも上記の判断がそれなりに定着してきているわけです。
そのような重みのある解釈を、いままで言ってきたこととは正反対の方向へ突然、一内閣が閣議決定で決めてしまうことをどう考えるかということです。
元内閣法制局長官の阪田雅裕弁護士は、「そういう成文法の意味すら内閣が自由に左右できるということになると、一体法治主義とか法治国家というものは何だということになり、国民の憲法や法律を尊重しようという、遵法精神にも非常に影響することになりかねません。」(「世界」2007年9月号)と指摘しています。
閣議決定で、憲法解釈を変えることが可能になると、内閣が変わるたびに、また解釈が変わる可能性がでてきますから、法的な安定性は損なわれます。
しかも、それが「国民主権」、「基本的人権の尊重」に並ぶ日本国憲法の三大柱の一つである「平和主義」にかかわる9条に関するものですから、外国から見た時に、とても不安定な状況に映ります。
何より、憲法解釈の権限は内閣にも国会にもありません。裁判所つまり最高裁判所がその権限を持っているのです。
閣議決定によって解釈が変わり、自衛隊法などが改正され、訴訟となった場合、最高裁が違憲判決を下す可能性があります。今は一昔前とは違い、「統治行為論」で判断を避けるような最高裁とは異なっています。最近は、違憲判決に沿って、法律改正を行う事例が増えています。
そうなると、日本国として大きなリスクを抱えていることになります。
安倍内閣が、集団的自衛権の行使が必要な場合があると信じるなら、憲法9条改正の発議を行って、国民の意見を集約して憲法改正することが王道ではないでしょうか。
「限定的な」運用だから、閣議決定で解釈変更して良いというのは論理的ではありません。
たとえば、日本人の乗った米国艦船を守るために、第三国にミサイルを撃ち込めば、その国は宣戦布告なしに奇襲攻撃を受けたことになり、日本に対する攻撃をする個別的自衛権の発動が可能になり、戦争状態になります。
ちょっとだけの「集団的自衛権」の発動というのはあり得ないという当たり前の事実を前提に冷静な議論をすべきだと思います。