マスコミ報道を検証するー半藤一利著「昭和史」
昨今の、特定秘密保護法案をめぐる報道のみならず、対中国、韓国への反応や、憲法論議に至るまで、マスコミの報道をどう考えるか、大きな課題だと思います。
私のような一人の政治家がもの申しても、「ごまめの歯ぎしり」に過ぎないかもしれません。
政治家は常に批判の対象になるべきですし、自分たちの意見がまともに取り上げられないとしても、それはこちらの力不足でもあります。
しかし、過去の歴史に学ぶ時、マスコミの側にも真摯に反省しながらこの国の行く末を共に考えていただきたいと思います。
半藤一利さんの「昭和史」を読み返しました。当初、昭和6年(1931年)9月の満州事変に対して批判的であった新聞各紙が一転、軍の思惑通りこれをあおるキャンペーンを開始。
当時の二大紙であった、朝日新聞、毎日新聞は半年でそれぞれ約100万円(当時の総理大臣の月給800円)の臨時費を使って大宣伝をしました。
昭和14年(1939年)4月の「天津事件」の際にも、イギリスとの外交交渉に関して、ほぼすべての新聞社が共同声明を出して、「我等は聖戦目的完遂の途に加えられる一切の妨害に対して断乎これを排撃する固き信念を有する」ものであり、イギリスは日本の言うことを聞けと主張しました。
昭和16年10月26日の毎日新聞の社説では、「われらは東条内閣が毅然としてかかる情勢に善処し、事変完遂と大東亜共栄圏を建設すべき最短距離を邁進せんことを、国民とともに希求してやまないのである」と、対英米戦争をけしかけています。
その後、各新聞社が大本営発表の宣伝紙となったことは衆知の事実です。
国民が熱狂し、国民が読みたいであろう記事や社説を書くことによって、さらに国民が熱狂するという負の循環が起きたわけです。それは、必ずしも、日本だけに限ったことではないかもしれません。
しかし、同じような過ちを繰り返したくはありません。
半藤一利さんは、この著書の中で、5つの教訓を示しています。
1。国民的熱狂をつくってはいけない。
2。危機に及んで日本人は抽象的な観念論を好み、具体的、理性的な方法論を検討しない。
3。日本型タコツボ社会における小集団主義の弊害。
4。問題が起こったときに対症療法的で、すぐに成果を求める短兵急な発送をする。
5。国際社会のなかの日本の位置づけを客観的に把握しない。
滋味掬すべしです。マスコミだけを批判していても始まりません。政治家として、冷静な発信をするよう努力します。