神話に見られる日本の武の原点
(国会議事堂前もウオーキングコースです。ここから、皇居へ向かいます。)
今日も、午前5時から皇居一周ウオーキング。早朝のいい汗は本当に素敵です。
わかってはいるのですが、怠け始めるとなかなか再開できませんでした。出雲大社へのツアーのおかげで、ウオーキング再開となりました。大国主命さま有難うございます。
出雲の国譲りの神話に関して、明治神宮武道場「至誠館」の荒谷卓館長は、武道の立場から次のような解説を雑誌に載せておられます。
簡単に、要約してみます。
武の神さまである建御雷神(タケミカズチノカミ)と大国主命(オオクニヌシノミコト)の交渉は「ことむけやわす」と表現。これは、「言葉」を向けて「和(やわす)」、つまり、言葉で平和の交渉をする意味。
「平和」は「たいらけくわす」。つまり、相互の思いを「平らにして」お互いに協力する状態が「平和」。
そのために、建御雷神は大国主命の尊厳を子子孫孫まで守り、日本一の社を造営することを約束します。
また、統治の概念の違いを説きます。国つ神の統治は「うしはける」統治、つまり、「私のものとして領民、領域を支配する」統治であり、天つ神の統治は、「しろしめす」統治、つまり、「領民の心や状況を知り、民意を集約する」統治であると。
同じ施政でも、考え方の格が違うことを大国主命に納得させたわけです。
その際、十握(とつか)の剣を抜いて、波の上にその剣を逆さに立て、その前にあぐらをかいて座り和戦両様の構えで交渉にのぞみます。
逆らった大国主命の息子は諏訪湖までおいかけて降伏させています。降伏した後は、亡ぼすわけではなく、諏訪神社をつくってそこに住まわせます。
武道には「位の勝負」という概念があって、建御雷神は大国主命に対して「格の違い」を見せて交渉に勝ったということになります。
梅原猛先生の解釈には同感しますが、神話として祖先の伝えたいことを素直に受け止めれば、荒谷館長の解釈も滋味掬すべきものがあると思います。