和歌山城再建!の市民パワー
(虎伏山にそびえる和歌山城天守閣。撮影by岸本周平。)
昭和20年7月9日は和歌山大空襲の日でした。
大勢の犠牲者が出た汀公園にある慰霊碑の前で、戦災死亡者の追悼法要が毎年行われます。
今年も、炎天下の中、ご遺族の皆さまが集まって追悼法要があり、私も参列させていただきました。
大空襲の日。午後10時25分に空襲警報があり、11時36分から爆撃開始。紀ノ川駅、和歌山市駅、ぶらくり丁、和歌山県庁や市役所付近に焼夷弾と油脂弾が落とされ、市内中心部は壊滅しました。
今の汀公園は県庁の跡地で4000坪の空き地でした。火災を避けるために避難した方々が熱風で犠牲になり、ここだけで、748名もの死者が出ました。
死者は1208名、行方不明者216名、重傷者1560名、軽傷者3000名、被災者11万3548名、焼失家屋3万1137戸(ウキペディアより)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E6%AD%8C%E5%B1%B1%E5%9F%8E
その際に、昭和10年に国宝に指定された和歌山城天守閣も燃えました。紀州藩55万5千石の城下町のシンボルが消えました。
しかし、それから11年後の昭和31年7月、まだ敗戦の痛手が残る和歌山市民の間で「和歌山城天守閣再建期成会」が結成されました。
私の生まれた月です。そして、和歌山市民の寄附を集めて、昭和33年10月1日に鉄筋コンクリート建ての和歌山城天守閣が再建されました。
私は、三番丁というお城の前の地区で生まれ育ち、毎日和歌山城を見てきました。
小学校に上がる前から両親に連れられて、新ピカのきれいなお城に登った記憶があります。
まだまだ、高度成長の入り口の貧しい時代でした。
敗戦後、わずか13年で寄附で自分たちの和歌山城を再建したという和歌山市民のパワーに脱帽です。寄附の文化は和歌山にはあったのです。
この復興への市民パワーをぜひとも、東日本大震災の被災地の皆さまにもお分けしたくて、ブログに書かせていただきました。