和歌山県知事 岸本周平 official website

Blog活動ブログ

2006年11月28日

民主党県連常任幹事会


 嵐のような1週間でした。時間に追われ、ブログの更新ができずに申し訳ありませんでした。これまでの顛末のご報告をいたします。

 昨日の12時半より、民主党県連常任幹事会を開催し、最終的に知事選の候補者推薦については見送り、自主投票と決定しました。23日の常任幹事会に三役提案として、串本町議の清水和子さんの推薦を提案しましたが、結論が出ず、24日に両論併記の形で、党本部の鉢呂選対委員長と調整。県連で結論を出すように指示をいただき、25日に再度常任幹事会を開催しましたが、結論が出ず、26日に再度上京、鉢呂委員長と調整をして、自主投票やむなしの結論を得ました。

 常任幹事会内での反対は、もっぱら清水議員の知名度が低く、短期間の選挙では浸透が難しいということでした。私達三役は、これまで、大学教授やNPO代表者、弁護士などの適任者に声をかけてきましたが、応諾が得られず、来年の県議会議員候補の清水議員に白羽の矢を立てました。本人は談合ファイターのご経歴もあり、立候補を受諾してくださいました。

 三役としては、立候補をお願いし、選挙準備に入っていたのに、常任幹事会を説得できず、清水議員には申し訳ないこととなりました。本人は無所属での出馬も考えられたようですが、最終的に、来年の県議選に専念することを選ばれ、27日に記者会見されました。私は27日の午前中に清水議員にお目にかかって、力不足で失礼な結果になったことを心よりお詫び申し上げましたが、「済んだことはもうよいですよ。民主党の発展のために、一緒に頑張りましょう。数千年の歴史の流れからみたら、今回のことは取るにたりません。」と逆に励ましていただきました。

 大きな心をもたれた方だなと、感心をし、私達の判断は正しかったと意を強くしました。反対される方々の中に、「田舎の町会議員ではな、、、」というような意識があったように感じられ、たいへん残念でした。肩書きではなく、その人の人物や、やってこられた実績で判断をして欲しかったと思う反面、その事実を説得できなかった自分の力不足を痛感します。

 県民の皆さんに対して、選択肢を示せなかった責任はすべて私にあります。私は、県連代表を辞任をし、けじめをつけさせていただきました。独自候補の推薦ができなかったことを心よりお詫びいたします。

 なお、私が最初から最後まで国政にこだわり、次の衆議院選挙に政治生命をかけ、知事選出馬を固辞した理由を説明します。私がすべてを捨てて、ふるさと和歌山に帰って、衆議院総選挙に民主党から出馬したのは「二大政党による政権交代可能な政治」こそが政治の腐敗や官僚との癒着を断ち切り、日本を活性化すると確信したからです。

 その意味では、和歌山のような民主党がほとんど存在しない地域こそ民主党を育て、二大政党政治を実現しなければなりません。今、和歌山県議会は自民党25人で46人の定数の過半数を占めています。これまで民主党の県会議員はゼロでしたが、9月議会からようやく2人になりました。万が一私が知事になって、県政を改革しようとしても重要な条例はすべて議会で否決され何もできません。むしろ、議会運営上、自民党と妥協を重ねていくことになります。それでは、県知事と言う地位と名誉だけを得ても、私のやりたい政治を行うことにはなりません。改革を進めるためにも、まず足腰である民主党系の県会議員を増やすことが先決です。

 生意気なことを言うようですが、私が民主党の和歌山一区からいなくなったら、育ちかかった和歌山の民主党はまた振り出しに戻ってしまいます。今回のことで、私自身、まだまだ力がないことがよく分かりました。私も含め、もっと力を蓄えて、地方政治スクールなどの勉強会を開催しながら、地方議会の議員を育てていかなければなりません。その意味でも、来年の統一地方選挙は重要です。推薦・公認合わせて5人の県会議員候補と6人の市議会議員候補の全員当選を果たします。代表でなくとも、一平卒として先頭に立って戦います。そして、続く2回の統一選挙のたびに、倍倍ゲームで候補者を増やし、2015年には県議会の過半数を民主党系の議員にするのが目標です。

 今朝、早朝の駅前街頭演説をしてきました。二つの駅に来られた市民の皆さんに、経過をご報告し、独自候補の推薦断念のお詫びをしてきました。数々の厳しいお言葉もいただきました。当然だと思います。一方で、励ましてくださる方も大勢おられました。

 岸本周平はゼロから再出発いたします。ご指導、ご支援のほどよろしくお願い申し上げます。
 

民主党常任幹事会

2006年11月23日

活動ブログ
一覧へ

民主党地方政治スクール

2006年11月29日