森本敏拓大教授の防衛大臣就任おめでとうございます。
(エンジン01文化戦略会議のエンジン塾で、森本敏教授とともに。)
拓殖大学の森本敏教授が防衛大臣に就任されました。旧知の森本先生は、私の安全保障問題の師匠でもあり、慶賀にたえません。
選挙の応援にも来ていただいた恩人ですので、政府与党の一員として恩返しをしなければと、及ばずながら考えています。
森本先生が安全保障の専門家として、日本の第一人者であることは言うまでもありませんし、自衛隊から外務省の安全保障室長を経験され、霞が関の官僚の使い方には習熟されていますから、最適任の人事だと思います。
しかし、不思議なことに、「シビリアン・コントロール」の観点から問題だという指摘がなされています。
私は、そのような意見を聞いた時に、大きな違和感を感じました。
確かに、憲法66条は、首相と閣僚は「文民でなければならない」と規定しています。
文民の意味については、大学時代に芦部信喜先生の講義で教わったのは「軍人ではない」ということです。
芦部先生の教科書には次のように書かれています(憲法 新版 補訂版 2000年 岩波書店)。
「文民の意味については、現在職業軍人でない者、これまで職業軍人でない者、前ニ者の条件を満たす者。」通説は、二番目と習いました。
「文民」についての政府答弁も、「過去に職業軍人」ではなく、「軍国主義に深く染まった人」ではない人物(昭和28年の衆院外務委員会で佐藤達夫法制局長官)となっています。
「軍人」に「自衛官」が入るかどうかは微妙ですが、すでに、自民党時代に中谷元代議士が防衛庁長官に就任された前例があります。
なお、現役の自衛官は、自衛官のまま防衛大臣に就任することはできないと考えるべきでしょう。
ちなみに、憲法上の「文民」は「国会議員」とはまったく関係のない概念です。
広義のシビリアン・コントロール(文民統制)という意味では、国会が自衛隊の行動を法律や予算でけん制することが何より重要だと考えます。
芦部先生の教科書では、「文民統制」の意味は、「軍事権を議会に責任を負う大臣(文民)によってコントロールし、軍の独走を抑止する原則のこと」とされています。
マスコミも含めて、憲法の教科書くらいは読んでから、発言をすべきだと考えます。
逆に、今回の件では、私は憲法を学んでいましたので、即座に自分で判断できました。しかし、専門外のことについての発言は、今後、「他山の石として気を付けなければいけないな!」と痛感したところです。
私たちのために。
私たちの子供たちのために。
私たちの大切な人のために・・・。
信じられない政治に終止符を打つ。